『人生はそう、一杯のコーヒー』
有名大学を卒業して輝かしいキャリアを今まさに築いている若者たちが、久し振りに母校の教授を訪ねたときのお話です。
会話はすぐに仕事や日常のグチの言い合いに発展する中、教授は教え子にコーヒーを振舞うためにキッチンへ向かいました。
数分後に教授は、大きなコーヒーポットと色とりどりのコーヒーカップを携えて戻ってくると、それぞれに好きなカップにコーヒーを注ぐように言いました。
陶器、ガラス、クリスタル…、もちろんプラスチックの白いコップまで。教え子は各々が選んだカップにコーヒーを注ぎ終えてカップを手にしたとき、教授は優しく話し始めました。
「ここに白いプラスチックのコップが残りましたね。みなさんが選んだカップは確かに美しいし、高価なものばかりだ。もちろん、せっかくなのだから良い器でコーヒーを飲みたいと考えるのは普通です。しかし、そういったものが人生においては、問題となりストレスになるものなのです」
教授は続けます。
「カップそのものがコーヒーの味を変えないことは、みなさんわかっていらっしゃる。みなさんが選んだカップはただ高価なだけです。時としてそういうカップは、私たちが飲むものを隠すために使われることもありますけれども」
「今、私たちはコーヒーが飲みたかった。カップが欲しかったわけではありません。しかしあなたがたは綺麗なカップを意図して選び、そして他の人が選んだカップにそれぞれ目を配っています」
「人生はそう、一杯のコーヒーのようなものです。そして仕事、お金、名誉や地位は、みなカップです。そのカップがなんであろうと、人生が勝手に決まったり、あるいは人生を変えてくれるなんてことはありません。私たちにはときどき、カップだけしか目に入らなくなってしまうときがあります。そんなとき私たちは、せっかく与えられた自分だけの"コーヒー"を楽しめなくなってしまうものです」
そして教授は最後に言いました。
「さあ、コーヒーを楽しみましょう」
だなぁ〜・・・。
今日見かけたニュースの一文です。
忘れないうちに、メモとして。
コメント
楽しめる余裕が欲しいものですね〜。